24/03/21

毎日のままならなさを思う。

さっき電車が行きすぎたと思って降りたら全然まだだった。上り下りが分かってなかったらしい。

友だちとあってめちゃくちゃ適当な相槌を打っていた。好きなのに、あの子の前ではどうにも言葉が出てこない。すこし気が滅入る。

本を読んで寝ようかな。大事なものは遠い。

24/03/05

 4時から頭の病院に行って、6時くらいから大学の知り合いとその他と飲むことになってたんだけど、気が進まないのと気持ちが滅入っていて、薬を飲んだ。近くの喫茶店で一時間待って、近くの駅まで行ってカラオケで一時間時間を潰して、7時過ぎに予定が変わっていけなくなったと連絡が来た。その場のノリや経緯や融通をきかせられない理由が分からないので、めちゃくちゃイライラした。こういうときにイライラしても、こうすればいいじゃんとかなんでとかは言えないな。別にめっちゃ好きな友達なわけじゃないし。でも時間を潰すのにも電車を使うのにもお金がかかるので、それは別にその人に関係ないのも合間って、ぐぎぎぎぎ…といったところ。

 とりあえず母がデパ地下の惣菜やワインを買うお金あげるから買ってきな、と言ってくれてちょっと持ち直す。その後のそいつからの連絡が、わたしの仕事終わり(いつも終電で帰る)に飲もう、泊まる場所さえあればいいし、との旨で、あまりにとあからさまで更にげんなりする。わたしたちは文学で繋がったのであって、マッチングアプリでも軽いサークルで知り合ったのでもない。そんなくだらない文章を送りつけながら綺麗な青春の話書いてんじゃねー!!偽物が!!!と思ってしまった、頭に血が上ってるな。人と作品は分けないとね。

 でも数回セックスしている。その人の初めての相手は私である。生活も心もぐちゃぐちゃだった時期だった。セックス依存症の時期。そんなことをしておいて、今更そういうのに怒ってもいいのかいい!!!いいよ!!!!!イライラすんぜ!今日はワインいっぱい飲んで寝よ〜

 一人でカラオケ行ったの初めてだったし部屋が101でやばかったけど歌うのめっちゃ気持ちよかった。すごくマイナスなイメージを持っていて避けてたから、新しい発見だった。また行こうと思う。

2022/11/29の雑記

 

 

 わたしは性格が破綻している。二面性どころではない。たくさんの矛盾が同じ割合で、気分によって脳内を占拠する。感情のコントロールも、親しい人や近しい人ほどできない。自傷癖があって自信はない。場をコントロールしたがるから、いい意味ではムードメーカー、悪く言えばマウンター。大体外では笑顔、誰とでも気軽に話せる(気軽に話したい人的にはそうなんでしょう)、最近は親との関係も良好、愛嬌のあるサボりをしながら、まじめにバイトもする。なんの問題もない。少し派手な服装・髪色・ピアス。普段は割と温和で可愛がられる。大人には、本音を言ってるように見せて心を許しているように見せるのが得意。
 こういう風に自己評価しているのですがどうでしょう。ちょっと違うかしら。最近本当に仲いい人としか話してないから、都合の良い跳ね返りしかない。ありがとうね。
 だけど私には精神疾患の病名がついている。そのこと自体はどうでもいい。大学でもっと楽になりたくて病名をとった。あと希死念慮が薬くらいで消えたら、それはそれでいいかと思った。薬は飲んだり飲まなかったり。昔からおそらく何か性格の傾向に、名前・病名なんかをつけられるとは思っていた。
 高校までは実家にいた。とにかく仲が悪かった。仲もなにもなかった。何も話さないで部屋にこもるか、不機嫌になると無表情になって黙った。何も悟られたくなかった。向こうも何も分からなかったのだと思う。ただ分からないなりに賢さに期待もされていた。愛情もちゃんとかけられていた。疲れていた。産んだことを謝ってほしいと思っていた。早くできるだけ遠くに離れたくて進学を選んだ。あと早く死にたかった。どうせ死ぬのに金をかけ続けさせて、なんか借金が増えてく気がしていた。
 私の中では「普通」の家庭を、私が家庭崩壊直前まで追い込んだと思っていた。今も思っている。どこにだってほころびはある。相性だってある。でもわたしはあの家庭で、異端分子だとしか思えなかった。
 大学に入って1年目、急に食べても食べても満腹にならなくなった。胃腸の問題かと調べたら摂食障害とよぶらしいと知った。びっくりした。毎日とんでもんない時間寝た。課題やテスト前、ストレスが大きいと好きでもない一番安いウイスキーをロックでがぶ飲みして吐きながら勉強した。毎日大量にコンビニの食べ物を買って、隣の人に聞こえないよう湯を張りながら吐いた。吐いたときの眩暈とか酔った時の勢いとかで便器の蓋が壊れた。部屋を引き払ったとき、ばれなかったから請求されなくてよかった。アホすぎる。
 大学に入って2年目、さすがにもういいやと思って休学した。別に好きでもない人と何となく付き合った。普通になりたかった。普通の関係、馬鹿みたいに普通の人間になりたかった。アニメに出てくる通行人Cに。私だって遠くから見ればありきたりなんだけど、これはとにかくなんか、こう、強迫観念的に、今までの経歴をなかったことにしたい!みたいな?気持ちで。「うつ病だと思う」っていわれた。私のこと何もわからない人でも、こんなにおかしいと気づくか、と思った。億劫なことはそういう人に世話を焼いてもらっていたのに、通院する前に別れた。どうでもよかったからあまり覚えていない。酷いことを言ったりやったりしたはずなのに、私は自分の好きな人間たちのこと以外本当に興味がない。
 3年目、やっと病院に行った。復学する準備中の1ヶ月、ほとんど寝て過ごした。それまでもほとんど寝てテトリスしかしてない時期とかあった。体が動かなくて、焦燥感だけあった。本当に死のうみたいな波が来て、過ぎれば寝て、ご飯も食べなくなった。さすがに学校いく気あるならやばいし、病名あれば楽らしいと聞いて病院に行った。薬を貰えた。変な先生で面白くてよかった。そのあと、そのとき?1年生の冬初めて会ったときからずっと惹かれていた人と親しい関係になった。浮かれていた。わたしもこんなことができると。生きていたらたまたまいいこともあるもんだなと。だがわたしはこうなので、なんだか駄目そう、というか上手くいかなそう(読んでるだろうにめっちゃ失礼な書き方してごめん)な人に惹かれた気がする。でもとても魅力的な人だった。全てが欲しかった。理性では分かっているつもりになっていた。そんなの無理だと。そんなものが本当に欲しいわけではないと。でも、酒を飲むと駄目になる。季節の変わり目も予定の詰まっているときも駄目。というか全然、めっぽう駄目だった。とっても酷いことをした。私への執着を試す行動をして、不安だからわざと関係を壊そうとしたり、目の前で自傷もした。相手の単純に苦手なことなんかを糾弾したり、無表情で不満を訴えてコントロールしようとしたり、逆に泣きわめいたりした。それで、(まぁ向こうにもそういう性質があるから仕方なかったのだけど)離れられると馬鹿みたいに怒ったり縋ったり、自殺未遂(?)もした。寒かった。ばしゃばしゃ海に飛び込んで腰の下まで浸かった。今思えば笑い話だけど。
 自己肯定感的になのか、一人では生きていけないとか、生きていきたくないとか思っていた。逆に一人だけで生きて、みんなに忘れられたいとも思っていた。どっちもありえない。そしてそんなに思いつめなくても意外と生きていける。それを忘れていた。自分の傾向を冷静に判断するために、病気だってことも忘れちゃいけなかったのに、「季節性だろ」って思ってた。そんなわけない。
 みんなが離れていくと思っていた。わたしの何か、いけないものが原因で全員離れていくと思ってた。愛想尽かされて、独りになってしまう、やめてくれ、と叫びたかった。だから常に確かなものが欲しくて、無いから常に寂しかった。だから先に壊したいとも思った。不安だった。全部が。わたしが壊してしまうだろうこと、流動的でわたしの手に負えない環境のこと。だから離れられたくない人とは四六時中一緒にいたし、ずっと怖かった。どうしようもないところまできて、やっともう自分の変えられないものに固執するのはやめた方が楽だと学習した。泣いて喚いて縋っても、ぶち壊そうとしても、枯れた木に芽は出ないし残るものは残っていく。どうしようもないことに折り合いをつけられないやるせなさ、穏やかな諦め。そして感情の波があることだけが生きてることの全てではない。ゆっくり自分の気持ちの中から、必要なものを洗い出している最中な気がする。砂金探しみたいな。わたしの感情、全部全部手放したくなくて、感情しかわたしに必要ないと思っていた。今もそう思う。でも全部は両立しない。全部手放すより、もっとできることがある気がしてきた。あとなんか新しいものも見つかったりして面白いな。
 あと留年が確定したわね。国立だから2年生を3年間してることになる。あんまり気にしてないことも問題かも。なんかね、やっぱさ、関係に浮かれて後回しにしてた。あと本当に全然通うのが苦しかった。1年のときはコロナで全部オンラインだったから酒飲みながらでもできたのに、急にみんないて蛍光灯の下で3時間とか拘束される。怖かった。休学明けに書類届けにいったときに冷や汗が出てトイレに籠って泣いたりした。無理ぢゃん、、、て思った。さっきも書いたけど。通い始めても、一度休んだりして真面目に受けられなくなると全部なかったことにしたくなってやめちゃう。不完全な完璧主義。上手くいかないやつ。今はね、先生にたつけてーって言いまわってがんばってるよ。助けてもらうのも結構難しかったからな。まあ適当にがんばれよ俺って感じ。

 こうやって書いてみると結構普通のことで、こうやっていくしかないんだな、って思う。わたしは通行人ABCどれかしら、なれてなくてもいい、なりたくなくてもどうせなってしまうもんだし。またカフェでも行こうね。いろんなことがありますけど、まあ風呂に入れるときは入って、ご飯たべれるときはたべて、とりあえず薬飲んででもあったかくして寝て、煙草はばかすか吸ってもいいや。やりたいことと我慢できないことは仕方がない。ちょっとずつがんばれわたしって感じですね。

近況報告以上。

大雪が降った朝に飛び降りようとした時の日記

2021/12/19

そのまま抜粋

 

12月17日午前7時36分
雪が降った。
札幌にしては遅い、本格的な積雪だった。
友達と飲んで朝方まで騒いでから一人事務室に残っていたとき、窓の外が真っ白に霞み始めた。ぼんやり重い頭で喫煙所に向かう。
早朝、足跡は無い。クロックスで階段を慎重に降りる。小屋の前で火をつけた。ベンチに寝転んで吸ってみる。ゆっくり降る大きな牡丹雪で、風もないから真っ直ぐ落ちる。雪が音を殺している。
思い出すこと。真っ白な記憶。
小学生の頃、住んでいた場所では珍しく大雪の日があった。今日みたいな雪だった。正月で親戚が家に来ていた。ダウンジャケットを着込んで、家の前の公園で兄妹と従兄弟とはしゃぎ回った。そのあと、公園の奥のベンチに寝転んで一人で雪が落ちてくるのを見つめていた。
それまで生きてきた中で一番、美しい瞬間だった。心からそう思った。このまま時間が止まればいいと願った。
その直ぐあと私を探す声が聞こえて、後ろ髪引かれる思いでみんなのところへ戻った。小さなかまくらを作った気がする。

こんな日に死にたいと思った。
いつからそう思っていたのか、あの日あの瞬間か、生き辛さを感じ始めた頃か。もう記憶が曖昧になっている。でもあの日のしんとした景色、美しさへの憧憬は心を貫いて忘れられなかった。生きる苦しさから来る希死念慮とは違う、純粋で確信めいた死への欲求。直感的に、ただただ美しく終わりたかったのだと思う。美しい雪に埋もれて消えてゆくという妄想。
ずっと大学進学は雪国にと決めていた。
そのおかげで今札幌にいる。雪が積もる。美しい街にいる。何よりも大切なこと。

そんな日が、また来た。
同じような雪だった。
見上げながら煙草を吸うと、顔に落ちた雪が首筋に流れて冷たかった。
静かな白。しんとした気持ち。
死のうと思った。
飛び降りようと思った。
あるのは目の覚めるような白だけ。
遮るものはない。恐怖もない。
苦痛はない。
ただ、こんな日に死にたいだけ。

 

8時56分
死ねなかった。
うろうろ散歩して高いところを探したのに。
風が強くて粉雪が痛いくらいだった。
あの静けさがなくなっていて、残念だった。
棟の横の階段を登っていて、人に見られたのが落ち着かなかった。5階から下を見たらすごく狭く感じてつまらなかった。
なんで死ねないんだろうって思った。悲しかった。少し泣いた。とぼとぼ部屋に帰って情けなかった。
死にたくないなんて気持ちには、いつも罪悪感が付き纏う。
寝不足で頭が痛い。死にたいくせに、ずっと先のことばかり考えていた。つまらない人間だなと思った。惨めだった。誰かに聞いてほしいと思った。この気持ち。寂しかった。いろんな人のことを考えた。助けてほしいってことだったのか。
死ねないままで、汚いままで、いてもいいって言ってほしいような。優しくされたくて、悲しいふりをしたのかという程。朝の、迷い無い死の確信が霧散した。奇跡的な雪の日に、隣に高い建物がある場面なんて、この先どれくらいあるだろう。もう死ねないのかもしれない、という予感が怖かった。生きなければならないのは、その事実を直視するのは、あまりにも痛くて。
どうして早く死ななかったんだろう。どうして死ねないんだろう。真っ直ぐ死ぬことしか考えなかったあの瞬間に、なぜ死ななかったの。他人にどう思われるか、死んだら、死ななければ、なんて下らないことばかり思った。寂しい。

 

19日午前2時56分
部屋に帰って寝て電話で起こされて麻雀した。半荘四着半荘一着。そのあとあんまり覚えてない。気づいたら次の日で、気づいたらその次の日。もう三日前近い。死ねなくて思い出した人と会った。死にたかったことは言わないけれど、あの人たちは光だと思った。尊いと思った。優しくなくていいし、離れてしまうけれど、何度でも思い出すし、死んだとしても笑えた瞬間があれば救いだろうね。

吐瀉のさきで 首の影が

2021/08/28

 

雑記

 

最近泣いてないなと思う。自分のために泣けてない。「クソみたいな人生、クソみたいな自分というナルシズムってあるよね」みたいなツイートを見て結構刺さったけど、自分のことで愛憎積らせるのも劇的な自分に酔うのも、何が悪いんだろう。もっと自分に酔ってなきゃやってけへんのとちゃうか。
そうは思うが、こういった他者的な批判の視線に怯むよりもっと前に、もう泣けなくなってたんじゃないかな。自分以外にエネルギーを注げてるわけでもないのだが、激しく心が動くようなことが少なくなったように感じる。明らかにインプットも減っている。知識は増えたし言葉をこねくり回す遊びも覚えたけど、泣けて叫び出したくなるような、わなわな震えるような作品を探すのも探すのさえ避けてる。疲れちゃうんだよな。物足りなさも感じるけど。文脈のない、分断されたコンテンツを流すだけの消費には慣れてしまったのに。
かつての激情が占めていた席に、虚しさのようなものがぼんやりと座っている現在、穏やかでもある。自身の思考感情を大体全て糾弾していた脳内のだれかさんは嵐とともに霧散してしまった。虚しさにケチをつけるのも、そういう自分に怒られて萎縮するのも、どうでもよくなってしまった。摂食障害の症状は緩やかになった。空腹に恐怖しなくなり、満腹感も感じられるようになった。厳しいカロリー制限とその反動の食欲もするする萎んでいった。一日が長くなったし、予定も立てられるようになった。風呂にはいって夜に寝ている。書類や事務手続きも鼻を摘めばこなせてるしお金もなんとか管理できてる、気がする。そんなこんなで良い感じに見える。凡人になって輪郭が曖昧になった、なんて言うなよ。非凡でもなかっただろうに。
あ、でも、他人と関わる時間も減っている。他人に自分の劇的な様を評価してほしい、掬い取ってほしい、みたいな感情もなくなってきた。ほんと無欲になったね。まあ人と話したいし話したい人もいるし、依存を期待するのは全然やめられてないんだけど。結局希死念慮とかで繋がって、わかり合いたいって思っちゃう。どうしても少し死にたそうな優しい人に惹かれてしまう。まあ、こんなどうしようもない人間が一般人のふりして街に紛れこめてんだからよしとしようや。おい、また丸く収めようとしてる。どうしちゃったんだよぉ。
今、すごい大事なことに気づいた。死にたくなってない。死に方、妄想してない。ここ一週間くらい。あれ、こんなつらつら穏やかになってきた〜アピしたけど一週間なのね。わら。でもほんとになかったかも。こんな長いこと死にたくないのは。絶望の中の希望でもなく、ただただ死のうと思わない。誰も傷つけようと思わない。自他と薄い膜を隔ててバランスを取り始めた。
傷つけようと思わないで思い出したけど、最近ものすごくひどいこと言ったししたのにそれすらまあ仕方ないよなですましそうになってる。他人のこと傷つけてもなんも思わんくなっちゃったのかなぁ。正当化すらしているもの。今まで他人に優しくしなければ、傷つけてはいけない、って自分に言い聞かせてたのは自分と他人を分けられずに同じように見ていたからだってのはある。もともとめちゃくちゃ利己的な性格だし。「自分」の枠に入らない人間との時間やそれにかかる労力を、損得勘定でしか考えられないですからね。自己犠牲なんてくそくらえだよ、ほんとはさ。ほんとは、尊い犠牲、罪の意識、そんな陶酔「自分」にすらしなければよかったんかね。分かんない。
拗らせて捩れに捩れた思春期を送ってきて(今もか)、ときどき思い出して辛くなる。心が壊れた瞬間はいつだろう、と何度も考える。壊れた心を引きずって乗る人いっぱいの電車や商魂溢れるスーパーや大人数でのイベント事や正解のない他人の気持ちやそういう全部が、ひどく恐ろしい。そういう感情を音楽煙草諸々自傷で誤魔化し、罪悪感を殺してきた人間にとって、穏やかな時間は、何をすればいいか分からない。恐怖(単純にパニくる機会が激減しただけ)のない生活は持て余すほど偉大です。しかし困難を乗り越えたわけではなく遭遇しなくなっただけなので、私の休学裏テーマである、「苦しいとき死と自傷以外の乗り越える方法をみつける」は達成されてなそう。まあまずは変化からか。
ここまで、この状況を‘善いこと‘と表現するのを避けてきたのだがこれは自分の勇気のなさが反映されています。変化を改善と言えなかったりね。裏・休学裏テーマがあり、まだ結論が出てないからなのです。それは「早く人生終わらせるか長く生きようと思うかはっきり決めろ」です。早く人生終わらせるっていうのは、ずっとある欲求で、それはそれは魅力的なのね。重力みたいなもん。子供の時から30歳で死のうって決めてて、高校生のときに30まで生きんの金の無駄だし死ぬんなら早く潔く散れやと考えたわけです。
きっと今年、死ぬしかないって思わなくなれば、もう死ぬことはできなくなるのだろうな。それが虚しくてとても怖い。終わりの見えないマラソンをまだ続けるような、ぼんやりした息苦しさが、この先もずっとあるのかと思うと、ほんとに怖い。まだ生きることへの覚悟ができない。希死念慮は私を蝕みながら、私を世界から守るその場凌ぎの希望でもあるから。

最近、もう死にたいなんて思わせないでほしいとお願いしている。世界よ頼む、と。なんだか死にたい自分さえ乖離して、世界のせいにできている。外部と自分の構造を眺めている。なぜ苦しいのか分からないし、苦しくないと安心できない、自分を持て余す感覚が自分をひどく寂しくさせる。

2021/08/05日記

人の言葉を借りて文章を書く。

こんな気持ちのこと、人はなんていうんだろうか。
しんとした夜に、サーキュレータを回さなければ汗が滲むような空気はあまりに大きく、音を遮っている。静かですね。あまりにも。凪という言葉をさっき使ったからだとおもう、
ああ。

あの人の言動に振り回されることも少なくなってしまったけれど、なんだか、暗くて冷たいものが、心を浸している。自分ですら触れない深いところに置いてきたみたいだ。静かで、穏やかで、そして寂しい。小さな落胆を繰り返して、今、諦めようとしているのに、まだ、ずっとずっとずっと、期待している自分に気づく。もうやめようとへたり込む自分が見える。疲れたんだよ。ほんとにそうだね。私は祈る。傷が治るように祈る。傷つくまいと祈る。色々なことが霞んでいく。自分の周りに膜をはったのは自分だと気づく。ほんとうに孤独なとき、人は傷つかないんじゃないかとおもう。

深く暗く冷たく静かに何も感じない何も聞こえない何も届かない。
君の温度も君の声も君の気持ちも、記憶も言葉も、遠ざかる。
「モントークで会いましょう。」
素晴らしい結末もいらなくなった。
そんなの言ったことないよ、どう言えばいいのか分からない、諦めに区切りをつける、言葉が、喉が締まる、その言葉だけ声にできない。
ただ、砂に埋まるのを待つ。海に沈むのを待つ。色褪せてゆくのをただただ眺めている。